今年1月1日に撮影した原爆ドームです。
原爆を落とした某国は「戦争を終わらせるのに必要な措置だった。」という立場を変える気配は全く無い。 確かにその当事の日本は「ならずもの国家」だった。 しかしその時代に日本に住んでいた人たちを個人レベルで見ると「ならずもの」だったか? はたしてかつての広島市民は原爆で人権まで剥ぎ取られてよかった人たちなのか?ということを
田口ランディさんのブログで気づかされた。
このブログにはこう書かれています。
「国が悪いことをすれば、その国の人間も死んで当然。 かつて、そう思った人たちが原爆を日本に落としたと思います。」
皮肉なことに、核実験を行った(と発表した)北に対して日本を始めとして各国は制裁措置のさらなる強化をしようとしている。 かつて日本が侵略戦争に打って出たのが他国による経済封鎖を受けた事がきっかけだったのをもう一度思い興してほしい。
経済制裁というと一見「平和的解決方法」の一つに思える。
しかし「北」ではその制裁は餓死と言う形で人の命に直結する。
経済制裁を受けて餓死者を出した北の遺族の方は制裁者を憎まないか?
経済制裁で愛するわが子の命が奪われたら・・・
もちろんここ最近の「北」の独裁者とその周辺の幹部及び軍部の行動は常軌を逸している。
独裁者たちは自国民すら人と思ってないかもしれない。
「北」の一般の方に対して「あなた達も私達と同じ人権を持つ人間なんだ」と言ってあげられるのは、案外「私達を含め、北以外の国のちゃんと人権に恵まれている人」かもしれない。
とりわけここ広島は世界初の核爆弾被災地。 あの時の「広島の人たちの人権」に思いを馳せてほしい。